5/11日   バムッカレ〜コンヤ〜カッパドキア    


カッパドキアまでの距離が長い為7時15分ホテル出発


バムッカレ〜コンヤ430km5時間


    
  石灰棚きれいだったな〜〜             山々に雪が積もっている
    12時     変わった形のドライブインで休憩ここで腕時計10トルコリラで購入
コンヤ  インジェ・ミナーレ神学校

1267年にイスラム教の神学校として作られた。細い(インジェ)、
尖塔(ミナーレ)の名がついているが、尖塔は落雷で低くなっている。
イスラム関係の彫刻などがあり、幾何学文様やアラビア文字の装飾が美しい。

午後2時30分
バスから降りた時は雨が降っていた。見学時間も短くて
ほとんど写真写すだけでゆっくりじっくりと見学はできなかった

    

    

メブラーナ博物館
メヴラーナ博物館(メブラーナ博物館)はメヴラーナ教団の創始者ジェラルディン・ルーミーの霊廟。
独特の旋回舞踏で有名なメヴラーナ教団創始者の霊廟で、現在は博物館になっています。

13時見学

     

 

メブラーナは白いスカートのような衣装を身にまとい、音楽にあわせて回り続ける旋舞教団と知られています。
その舞は、「セマー」と呼ばれ、神との合一を目指す旋舞です。
セマーのセレモニーは、セマーの踊り手(セマーゼン)の精神的な旅を象徴しています。
上に向けた右手から神(アッラー)の恵みを受け、下に向けた左手でそれを大地に(つまりはこの世の人々に)渡します。
セマーの踊り手(セマーゼン)が身につける円錐形の帽子は墓石、ジャケットは墓そのもの、
スカートは葬式用の覆いを象徴しています。そして、それは自我を葬り、精神的に生まれ変わることを意味しています

       トルコの秘宝、伝統芸能 旋回の踊りセマ

     

   

トルコの子供たちはとても人なっつこいよ、一緒に
写真をというとみんな気軽に応じてくれるとっても陽気で明るくてみんな興味しんしん。


素晴らしい景色を眺めながらコンヤ〜カッパドキア220km  3時間半
一直線に伸びるシルクロードをドライブしながらカッパドキアまで


途中バスのタイヤがパンクしているのを後続車が知らせてくれた、
修理するスタンドまで延々と走り続けた事にまずはびっくりしたしはらはらした。

                                                      グラデーションが美しい 16時50分             
   

キャラバンサライ(隊商宿

一般的には中庭がある二階建ての建築物で、1階は取引所、倉庫、厩、管理人や使用人の住居にあてられ、
2階は客人である隊商の商人たちの宿泊施設となっていた。アガと呼ばれる責任者や、
荷運びの監督、夜警などの役職が常駐していた。
現在では宿泊所としての機能は消え、事務所、倉庫、卸売店舗として用いられている。

中に入るのはオプションで3トルコリラ            午後   17時30分

  
              途中にシルクロードのスルタンハヌの隊商宿による。  
   
ここでも犬がお出迎え、日本ではありえんね

   
ハッサン山3000m級 18時20分通過

素晴らしい景色を眺めながらコンヤ〜カッパドキア220km  3時間半   カッパドキアにつくころは夜7時30まわっていた

   アルフィナ・ケープホテル
    洞窟ホテル
 

 6日目  5/12日

    カッパドキア

早朝バルンツワーに参加の為早朝5時にロビーへ 。
同行者17名中11名の参加です。
エジプトでバルーンが墜落し日本の観光客が亡くなっているので少し怖い。
でもレジャーの神様がついているので安心してバルーンに乗ることにした。
食事はここで朝食バイキングを食べた。


  
5時30分バルーンに乗る会社のレストランで朝食。   バスに乗って気球の乗り場まで     
  既に数台のバルーンが上昇している

    

バルン上昇の準備                                    いよいよです。上昇です

 
色とりどりのバルーンまるで風船が上がっているみたい         カッパドキアの上を無数に飛んでいる

  

風もなく揺れもなくバルーンは快適で雲の高さまで上昇してくれたがまったく恐怖もなくフワーッと上昇していく
風船に乗って漂っている感じだ。広いカッパドキアが一望に見渡せる景色は圧巻だ

   

 バルーンを操縦してくれたお兄さん安全運転ありがとう   シャンパンで乾杯一時間の空の旅

世界遺産カッパドキア観光
8時45分ホテル出発          
       
カッパドキア観光へ
 
                   一基だけバルンが上がっている寂しそう                
  

9時  ギョレメ野外博物館  15TLツワーは込

暗闇の教会

謎めいた雨雲に視界がさえぎられがちな“信仰の拠点”
ネヴシェヒルから10kmのギョレメとその周辺は、
ローマ時代にベネッサ(アヴァノス)の住民らにネクロポリス(墓地)
として使用されていたと考えられています。
 
   女子修道院が見える                            暗闇の教会                     
 

イスラム教徒による迫害を逃れて、キリスト教徒が造った岩窟教会や
修道院がある。そのうち30あまりの教会が集まるギョレメの谷を野外博物館として公開。
聖バジル教会、林檎の教会、聖バルバラ教会、蛇の教会、
暗闇の教会など、鮮やかなフレスコ画で装飾された教会が残っている。


    

   

    

看板娘かな             トルコアイス     洞窟にすむ民家・・といってもお土産売っていた


11時  絨毯工場見学

   

トルコ絨毯はペルシャ絨毯に次ぐ上質な絨毯だそうです。
何か月もかけて手織りで追っていく。大変な作業だ。
イケメンお兄さんが大勢出てきて商品を見せてくれたり、
購入を勧めてくれたがこんな上等な絨毯敷くだけの部屋もないし、
百年以上持つといわれても私の寿命の方が早いよ。
玄関マットにグラグラ来たけど迷いながら購入を辞めた。

12時ギョレメの谷
  
キノコだ          キノコの山のお菓子を思い出した      ラクダの形に見えるね

   

   セルべの谷のキノコ岩 いろんな岩の名前があるらしい  妖精の岩や親子岩なんてね何だかそんなように見えるのがおかしい
                                 

                                    テヴレントにあるラクダ岩。
                                                     13時    昼食はケバブ            高級な陶器の絵  

                                    
3時 地下都市カイマルク見学

内部には教会、学校、ワイナリー、食料貯蔵庫などが作られ、約2万人が暮らしたと考えられている。
各階層は階段や傾斜した通路でつながれている。 カイマクルと隣の
デリンクユの地底都市の間には地下通路が確認されている。
ローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み
何世紀もかかって掘り進められて拡張されてきたが、作られた年代は謎に包まれている。
紀元前から存在し、ヒッタイトによって作られたと考えられている。

      
  狭い通路で頭をぶつけそう、侵入者が武器を持って通れないようにしてあるのかしら?
  こんなとこに住んでいたら部屋がわからなくなりそうだ狭いし暗いしでも迫害から逃れるためにこんなところに住まなくては
  いけないのは可哀想、でも住んでみたら快適かもね・
・・

4時ウチヒサール  丘の上から写真撮影
  
                     トルコの魔除け「ナザール・ボンジュー」とウチヒサール  

カッパドキアウォーキング

4時30分 歩くこと1時間どこをどう歩いたのかわかりません、ガイドのあいちやんの後ろにただついていくだけです。

     

    

ホテルのレストランで夕食を終え8時過ぎベリーダンスショー見に行く

      
                         宗教踊り旋回の踊りセマ
     色っぽいベリーダンス

                                                            
  踊りの輪の中へ日本のフォークダンスジェンカみたいです。                       
 いろんな国の人が何人も連なって音楽に合わせてわっしょいわっしょい(これは日本語)
 そんな感じで部屋から外の庭まで大勢で練り歩き、御年00歳の私はさすが疲れた。       

   
                             

 7日目 5/13日
  
  カッパドキア〜アンカラ   295km4時間半
 8時30分出発

     
   
アンカラ市内観光12時45分

ごつごつとした溶岩が突起する地の上に建つこの城は、
ガラテヤ人によって建築が始められ、ローマ帝国時代に完成されました。
その後、ビザンチン帝国とセルジュク朝によって修復や増築が行われています


 アンカラ城跡  
     
城内の街・・・まだまだここまで開発の手が回らない

アンカラ城の中は今は一般の庶民がひっそりと暮らしている城内は舗装もしていなくて     
道路はごつごつしていて貧困層の住む家が立ち並んでいるそうです。
ガイドさんは城の門の内へ入ろとは言わなかったからな。
城の坂を下りたところに博物館がある。 

 アンカラの町        

  

豆や香辛料を売っている     現在の住居を取り壊して昔の家を再現してこのような家にしていく

アンカラ駅  

        

                                                                           

 アタチュルク廊    2時30分

トルコ共和国の父を祭る「神殿」

アンカラ市街の丘の上に建つ、ムスタファー・ケマルの墓。
第一次世界大戦に敗戦したトルコは国土分割、滅亡の危機にさらされた。
ケマルは救国戦線を率いて他国の進出を撃退。
トルコ革命を断行して独立を維持した。スルタン制を廃止して政教分離、
アルファベットの採用など、近代化を推進した。
「建国の父」を意味するアタチュルクの称号を与えられた。
建物の外壁には彼の生前の演説の一部が刻み込まれている

     
                          衛兵さんがかっこいい      ライオンロード                    
                   
  
   6時発 トルコイスタンブールまで飛行機でひとっ飛び
  

19時過ぎ   イスタンブール到着

夕日が美しい                                    またまたトルコ料理シシケバブおいしくない。
    

マルマラ タクシム
                    

 夜8時過ぎにホテルに入る。
イスタンブールは、トルコの古都イスタンブールにある7つの丘の中でも1番高い丘の上に建つホテルです

夜のタクシム広場  夜の散歩  

  

イスティクラール通

      

                       焼クリ          トルコアイス      共和国記念碑                                                              
      

私達がこのイスタンブールのタクシム広場前のマルマラホテルに宿泊した日は5/14〜15日
広場前は開発の為夜遅くまで工事が進められていた。夜10時でも大勢の人でにぎわっている
夜の散歩がてらタクシム広場や少し歩くと賑やかな大通りの商店街が沢山あり遅い時間にもかかわらず
大勢の人達が楽しんでいた。


帰国して半月もたたないうちに、タクシム広場はトルコの大勢のデモな場所となり
警察との衝突などあり負傷者も大勢でたようだ。
外からでは不満など見えなかった、ただガイドさんの政権への不満がなるほどこういうことかと納得できたな。

 イスタンブール市内観光へ

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